ドキュメンタリーを志したのは、大学4年生の時でした。
大学では映画部にはいって8mm映画作りに熱中していたので、漠然と映像制作に関わる仕事がしたいなと思っていました。そのためテレビ局やテレビ番組制作会社への就職活動をしていました。その就職活動中に見た1本のドキュメンタリーに感動して、僕はこのドキュメンタリー制作の仕事を選んだと思います。
それは、今は劇映画で世界的に評価の高い是枝裕和監督が作ったNHKスペシャル「記憶が失われた時」(1996)というドキュメンタリーでした。
それまで、映画は好きでしたが、特に熱心にドキュメンタリーを見る習慣のなかった僕は、この作品を見て「何だコレ?」と驚いた記憶があります。
すごく面白かった。
内容は、前向性健忘と診断された男性がいて、人生のある時点から先の記憶を重ねていくことが全くできなくなってしまった方が主人公なのですが、暖かく見守る家族や友人に囲まれながら生きている様子をドキュメントしています。取材者である是枝さんが、繰り返しお宅を訪ねるのですが、記憶を重ねられない病なので、当然、前に会いましたっけ?と言うような話になります。番組を見ていくと、その繰り返しを見ていくことになります。僕がこの作品を見て一番印象に残ったのは、通常、ドキュメンタリーにおいて重要だと考えられる取材対象者の方の変化やドラマというよりも、是枝さんが「記憶とは何か?」と考え、記憶について発見していくという取材者側の変化のプロセスでした。
僕は是枝さんの「記憶とは何か?」を探る思考の旅に一緒に連れていかれるような感覚になりました。それまで、他の番組を見ていく中では、そのような感覚を感じたことがなかった僕は、ドキュメンタリーってこんなことができるんだ、と思ったことを強く覚えています。
それから、もう25年。世界の複雑さや、人間という存在の謎や、色んなことにドキュメンタリーと言う手法を使って考えていくこの仕事の魅力は今もって色褪せないなと感じています。もちろん同時に、ドキュメンタリーそのものの社会的な位置づけが変化していく中での難しさも感じています。
でも、面白い。それは変わりません。
今は制作作業だけではなく座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルの実行委員長という役割も担っています。毎年、2月に開催に高円寺で開催しているイベントで、テレビや映画というジャンルにとらわれることなく今見てほしいドキュメンタリーを上映しています。是枝裕和監督もお忙しい中、毎年ゲストで参加してくれています。他にも、森達也監督や、諏訪敦彦監督など、豪華なゲストがドキュメンタリーや映像制作の奥深さについて語ってくれています。
是非、ドキュメンタリーの魅力に出会いに、足を運んで欲しいと思います。
会場にいますので、是非お話ししましょう。
撮影風景
座・高円寺